挑戦は続く

2017.8/10

2015年9月20日の日曜日早朝、電話が鳴った。

「先生、やりましたね! 生きている間に、こんな瞬間に出会えるとは思いませんでした。正しい方法で努力すれば、実現できないことはないんですね」

阿部憲史先生からである。
憲史先生のうわずった声を聞いた瞬間、ジャパンが南アフリカに勝利したことを知った。BSアンテナの無い我が家では生放送観戦ができないので、朝のテレビニュースで結果の確認をしようとしていた矢先だった。
次第に鼓動が早くなり、身体が震えてくるのが分かった。

迂闊だった。
己の怠慢に恥じ入った。
すぐさまパソコンを立ち上げると、ユーチューブから試合のハイライトシーンが飛び込んで来た。

各国の実況中継アナウンサーが、各々の母国語で絶叫している、日本語、英語そしてフランス語で。
日本応援団のおじさん達も涙を流している。

凄いことが起こったのだと、私自身もこの興奮に感染し、止めどなく涙が頬を伝う。
選手も観客も、テレビを観ている人も、この瞬間に世界中のラグビー関係者が一つになった。
感無量とはこのことだ。

ほどなく、憲史先生の奥様、郁子さんが自転車で、録画ブルーレイディスクを届けに来てくれた(本当に感謝です!)。
手持ちの機器ではブルーレイが再生できずに焦ったが、パソコンにセットすると、青紫色レーザー光ディスク、ブルーレイの臨場感溢れる映像が浮かび上がってきた。

キックオフから、がっぷり四つのシーソーゲームである。

しかし、W杯2度の優勝を誇る南アフリカはさすがに強豪国である。
個人技では南アフリカに防御を破られる場面もあったが、ジャパンは粘り強くタックルを続け、倒れてはまた立ち上がり、ボールを追う。
完璧なラインアウト、そしてスクラムでは互角以上。
そんな状況の中、ゲームはいよいよ後半の終盤に入っていった。
結末を知っての録画再生ではあるが、一進一退の攻防に、本当に勝ったんだろうか?と不安になりながら観戦する。

しかし、鍛え抜かれたジャパンはラスト10分、怒濤の攻めを繰り返し、残り2分から2度、ゴールになだれ込む。
ビデオ判定でもグラウンディングが確認されず、5メートルスクラムでゲーム再開。
フランス人レフェリー、ジェローム・ガルセス氏も顔も紅潮させ、力一杯叫びながらゲームをコントロールしている。
南アフリカは堪えきれずにオフサイドの反則を犯すが、ここでジャパンは、ペナルティゴールを狙った南アフリカとは反対にスクラムを選択。

組み直し後の7次に渡る連続攻撃で、少しずつポイントを右サイドに移動させ最後は、ライン沿いから横幅全体を使った飛ばしパスで、山田と交代したばかりのヘスケスがボールを抱えて左隅に飛び込む。

英国ブライトン球技場全体が沸騰した。奇跡が起こったのだ!

いや、ラグビーの場合「勝利の女神」は気まぐれにボールを弾ませることはあっても、奇跡を起こすことなどない。
これは断じて、奇跡などではない。
「世界一ハードな練習」をやり遂げたフィットネスと自信を武器に、ジャパンの魂が、スクラム選択に始まる最後の連続プレーによってゴールまで届いたのである。

1995年の第3回ラグビーW杯、対オールブラックス戦の145失点を、我々は忘れることができない。
あの時、ジャパンラグビーは完全に打ちのめされた。
皆、茫然自失であった。
しかし、あれからジャパンラグビーは、試行錯誤を繰り返しながら着実に歩みを進め、20年後のW杯で新たな歴史を作り上げた。

人は皆、ぞれぞれの歴史を持っている。
我々は、このジャパンラグビーの歩んで来た道程と、己の歩んで来た人生を様々な場面で重ね合わせることができる。
それを仲間と共有し、そこから元気を、そしてエネルギーをもらうことができる。何と素晴らしいことか。

ラグビーに乾杯。


部長 後藤 薫
(平成27年11月『こまくさ』より転載)

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