東日本大震災をふりかえって

2017.7/27

平成二十三年、三月十一日、金曜日。
山形県、酒田市、日本海総合病院。

その日の晩、私は救急当直だったこともあり、通常診療を終えた後も、土曜の朝まで病院にいなければいけなかった。
あの大地震の後、金曜の夜、酒田市のほとんどの地域で停電が起きた。
診療の合間、深夜零時過ぎ、病院の最上階から外を見渡すと、酒田市の街全体が、ひたすらに飲み込まれるような闇一色であり、嫌な予感がした。

翌日の土曜、当直明けではあったが、なんとなく休む気が起こらず、自分の病棟の回診を終えると、微力ながら救急部受診患者の診療を手伝った。

このような事態の時、たとえ、その場所が被災地でなくとも、人は過覚醒になるようだ。
地震の後、しばらくの日々、自宅の電気が復旧したであろうにも関わらず、夜遅くまで、医局には、多くのドクターが残っていた。
テレビの画面には、ずっと悲惨な映像が流れていた。そんな中、時折、なんとなしに、冗談が交わされることがあった。
むろん、悪気などあるわけがない。
この時、妙なテンションになっている頭をクールダウンさせるためには(勤務医という職業上、当然ではあるが、翌日から、通常通りの診療があるわけである)、限定されたメンバーや場所における、ブラックユーモアは、必要悪というか、様々なストレスに対しての、ある種の防衛機制として機能しているのではないか、と思ったりもした。

ステーキハウスの脇にあるガソリンスタンドに、開店前から、百台以上の車の列ができていた。住宅街を囲んでしまっている。
私の友人は、「ステーキソースで車も走ったらいいのにね。」と苦笑いしながら言った。
それを聞いた私は、「もし俺がステーキハウスの店長なら、ドライブスルーでランチを出すね。」と返した。
後日、本当に、給油待ちの人達に出前をしていたラーメン屋があった。
しかもそれが、普段は全くと言っていいほど流行っていない店だったというのだから、商売とは分からない。

ちなみに、タクシーの燃料は、ガソリンではなく、LPガスらしい。
「吞みに出るときは、代行じゃなくてタクシーがいいわよ!今から、タクシーで来なさい!」と電話してきたスナックのママがいた。
また、東京などから食材を輸送してメニューを出していたチェーン店は軒並み休業状態であった。
一方、昔から地元でとれたもので勝負していた居酒屋は、チェーン店と比べたら、逆に品数が安定していた。
そこの女将は、「ウチはもともと、ここらでとれたものしか使っていないから。」と事も無げに教えてくれた。地産地消とはこういうことか。
ママも女将も、彼女たちの表情は、なんともタフに見えた。

ちょうど人事の季節だった。
私の後輩は、片道分のガソリンと身一つで転勤する気でいた。
彼のために予定されていたいくつかの送別会は、世の中の自粛ムードを受けて、すべて中止。
しかし、私のもとで数ヶ月間研修した真面目な後輩だった。
三月も半ば過ぎだというのに、雪が降る晩、元気な女将のいる居酒屋に彼を誘った。
美味い料理に舌鼓を打ち、零戦人事だな、と二人だけで送別の乾杯をした。


監督  池谷 龍一

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