時感

2017.9/11

新しいミレニアム(西暦2000年)の中で時代の転換期を迎え、我々の心も世の慌ただしさに惑わされている気がしないでも無い。

そもそもアインシュタインの相対性理論によれば、一見絶対的なものと考えられていた時間、空間、質量も全て相対的なもので、座標軸との関係によって様々に変化するものである。
時間に対する人間の感覚も同様で、我々は時間の単位が状況により大きく変化することを知っている。

幼少の頃は、毎日毎日が新しく始まる一つの単位であったのに対し、学生時代から卒後の研究生活へと移るにつれ、何か一つの事に集中する時間が次第に延長し、一つの単位が数カ月から数年に及んでいることに気がつく。

脳の中では感覚的に、幼少時の「一単位」も今現在の「一単位」も似たようなものと処理されるため、我々は年を取るにつれて時の流れが次第に早まるような錯覚に陥るのかもしれない。

さらに脳は、反復刺激に対しては次第に反応が鈍くなるような生理学的細工が施されているため、「一単位」が長くなればなる程、同じ刺激に対する脳の反応も鈍くなると考えられる。感覚の鈍化も時の流れを加速させるのかもしれない。

この時間の流れを押しとどめるものは何か。

相対性理論によれば、それは速度である。
一定の半減期を持つラジオアイソトープに高速に近い速度を与えると、その寿命(半減期)が延びることが実証されている。

さて、我々の場合、その速度に相当するものは何であろうか。

それは速度を生み出すため与えられるエネルギーであり、それはまさしく、新しいエネルギーの塊である新入部員である。彼等は我々の原子炉であり、彼等に心地よい場を提供し共に燃焼することが我々に課せられた使命である。

一年また一年と立場を変えて繰り返されるこの営みこそが、まさに鉄を鍛えるが如く我々の魂の鍛錬につながるものと信じる。


部長 後藤 薫
(平成12年『こまくさ』より転載)

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