ネパール嬢、帰る(医学生4)

2017.9/29

大学を一年間、休学したことがある。唐突に、何も考えず、衝動的に。

そして、旅に出た。

インド北部、バラナシという街で見たガンジス河の興奮も冷めぬまま、インドからネパールへ向かうバスに乗り、ネパールの首都、カトマンズに着いたのはそろそろ暗くなる頃だった。
日が沈む前までに宿を見つければいい。宿の客引きが片言の日本語で話しかけてくるのを退け、私は日本円で一泊二百円に満たない安宿を見つけると、チェックインを済ませ硬いベッドに身を横たえた。

ここの街には会いたいネパール人女性が一人いた。名前をイナという。
彼女は四年程前まで山形駅前にある「M」というスナックで働いていた。
彼女はネパールから出稼ぎに来ていたのである。
他にも何人かのフィリピーナや日本人がいた。
当時、私もここでアルバイトをしており、彼女は山形に来る前も東京、秋田でやはりホステスの仕事をしていて、日本語も酒場で交わされるような会話には支障が無かった。
もっとも外国人女性が在籍しているこういった類の店は片言のニホンゴの方が客からの受けがいい場合が多々ある。

もともとシンガーという名目で来日していただけあって、客からのリクエストでイナが店内にあるステージに上がると、カウンターの中で立っていた私もそのよく通る歌声に感心し、たびたび聞き入ったものだった。
しかし日本の演歌をいくら上手に歌おうが外国人である以上、ビザの期限内で金を稼ぎ、彼女たちは本国へ帰らなくてはいけない。
無論、イナを含む何人かの外国人たちも例外ではなく、ネパールやフィリピンに戻る日が来た。

特別、懇意にしていたわけではないが、イナは帰国する際、自国での彼女の住所と電話番号を書いたメモを私に渡してくれた。
連絡を取るようなことはないだろう、とその当時は考えていた。
だが今回、このネパールを含むアジアへの旅の準備をする際に、机の奥からそのメモが出てきて、もしむこうで連絡がつくのであれば、一度会ってみるのもおもしろいのではないかと思ったのだ。
さすがに四年も経っており、イナの身の回りも変わっているだろう、もし私の訪問が彼女にとって迷惑であるのなら黙って立ち去ればいいのだ。

地図を頼りにメモに書かれた住所に向かった。そこは仏教の一大聖地であるボダナートという街であった。
もしもネパールでの滞在がながくなることになれば、訪れてみようかと思っていたところであった。
彼女の家の近所まで来て、地元の人々から彼女についていろいろな話を聞いているうちに驚いたのだが(もっとも彼女が水商売をしていた、というのは私の方で伏せていた)、どうやらイナはここカトマンズのラジオ局で勤務しており、現地ではなかなか有名なDJになっていたのだ。
なぜジャパニーのお前が彼女を知っているんだ?と逆に私が質問される形になった。そうこうしているうちにイナの近所に住んでいる婦人が、イナはすでに結婚していて、ここから少し離れたところに新居を構えている、と教えてくれ、親切にも本人と電話で連絡をとってくれるというのだ。この婦人の厚意に甘え、いくらかの紙幣を渡し、イナと連絡がつくのを待った。
どうやらイナと無事、会うことができそうだ。
後日、イナ本人から私が泊まっている宿に連絡が入る段取りになった。

イナから電話が入ったのは、次の日だった。
日本語はだいぶ忘れてしまったわ、と本人は言うが、もともと頭の回転も速いのだろう、ウィットに富んだ受け答えは変わっていなかった。
そのまた翌日、イナと私は旧王宮の近くのにぎやかな通り沿いにあるレストランで会うことになった。
彼女が来る少し前に着いた私はコーヒーを注文し彼女を待った。
ネパール人女性がよく身に付けているドレスを優雅に着こなし、サングラスをかけたイナは、まさに颯爽と店内に入ってきた。

「イケヤサン、チョト、フトッタネ」
「ナマステ、久しぶりだな」

私はネパール後を交えた挨拶をし、再会の喜びと興奮が少し入り混じった、どこかむず痒いような気持ちになった。
私は自分がまだ学生の身分であること、当時バイトしていた店はとっくに辞めたこと、大学を休学して今こうして南アジアの旅に出ていることを話した。

「すごいな、すっかり有名人だ。ここらへんじゃ、みんなイナのことを知っている」

私がそう言うと、イナはうれしそうに微笑んだ。
食事を終え、私がポケットから紙幣を取り出そうとすると、彼女はそれを制した。
ボーイを呼び、イナは私の分の食事代も払った。席を立つとき、イナは十ルピー紙幣をテーブルの上に置いた。
なんでだ、と私が小声で聞くと、チップよ、とイナは意外な顔をした。
私はネパールにもチップの習慣があるのか、と尋ねた。するとイナはチップの習慣は日本で覚えたのよ、と答えた。
一瞬、私は戸惑ったが、なるほど、と思った。
当時「M」に来る客たちはなにかにつけ、そこで働く女たちに花束やプレゼントを持ってきていたが、チップとして紙幣を渡す光景を私は度々目にした。
女たちは店でのそんなやり取りと店側に管理されたアパートでの共同暮らしでしか(極端に言えばだが)日本を知ることができなかったのだ。
日本にいる時、外で食事をする機会などあまり無かったのだろう。店に出勤すれば、酔客たちから自分自身はチップをもらう側だったのだ。
私は、ナルホドネ、と声にして笑った。
イナもそれをみてニヤッと笑った。(ひょっとしてこの女、日本にそんな習慣が無いことなんて十分に承知しているんじゃないかしら、俺をからかっているのかな)私はそんなふうにもすぐ思い返した。
しかし、そんなことはどうでもいいのだ、イナは日本の夜で必死にしのいでいた。その結果、彼女はここネパールで幸せを享受している。

私たちは雑踏に出た。私は別れの挨拶をいい、俺はまだこれから旅を続ける、次はバングラディッシュに行くつもりだ、と説明した。

「ベイビーによろしくね、手紙を書くよ」

私は歩き始めた。振り返るとサングラスをしたイナが手を振っていた。
彼女はニッコリと微笑み、私と反対方向に歩き始めた。

彼女の姿が人ごみに隠れすっかり見えなくなった。昼間からほろ酔いのような気分になった。


監督 池谷 龍一

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