コロナクラスター、59連続当直を終えて(長い一日の終りは、長い一日の始まりに過ぎなかった)
令和3年10月11日、当院の会議室にて、当院で起きたコロナクラスターの収束宣言に関する記者会見が行われた。
そこに至るまでも、新聞、テレビ、ネットサイト、様々な媒体で、この度のクラスター対応に関して、話すことがあった。
それらの中で、差別や偏見について、質問されたり、私自身、自分の考えを述べることもあった。
感染対策のことも含め、差別や偏見、誹謗中傷やインフォデミックについて、思いつくままに書く。
中世の魔女狩りをやっていた頃から人間のメンタルは進化してない、と思う。
公開処刑、魔女狩り、村八分。
人間の感情の中でも、極めて、本能や原始に近いところに位置するものが、そうさせるのだろうか。
差別、嫉妬、デマ、歪んだ正義。
このようなとき、高次機能は制止状態となり、原始機能をベースとした衝動を、止められないんだろうな。
そこに、SNSが介在しているのが、現代的な恐怖。
まず、ネット民の詮索力が凄すぎる。
一億総・監視・評論・指導(あくまで、ネットで、そのほとんどが匿名で)時代。
誹謗中傷時代でもある。
匿名だから、自らを省みる機会がないのだと思う。
ほとんどのSNSは、文責無しの、言いっぱなし。
彼らは、下手すれば、ヒューマニズムや理性で、自粛警察や犯人探しをしている、と思いこんでいる。
歪んだ善性より性質(たち)が悪いものはない。
そして、悪貨は良貨を駆逐する。
医療従事者に感謝の色紙を書くのも市民。
医療従事者の子供というだけで学校に通わさせないと騒ぐのも市民。
陽性者への差別を止めようと言うのも市民。
陽性者に心ない言葉を投げかけるのも市民。
怖いっす。
私自身もネットで叩かれたが、
もっとも、まあ、言われてもしかたがない私生活ではある。
それはさておき、また、一方で、経済を回さないと、たくさんの人が首をくくらないといけなくなってくるだろう。
コロナじゃなくて、経済破綻で殺される。
医療、福祉、進学、就職、結婚、老後…
すべての面において、経済活動が土台になっている。
経済と政治が、すべての分野において、土台になっているのは、言うまでもない。
しかし、まったく、医者ばかりやってると視野が狭くなる(泣)
あらためて…
過度に恐れず、普通に恐れよう、コロナとそれを取り巻く社会を。
しかし、今後もウイルスの変異が起きていけば、検査キットもワクチンも、どうなるんじゃい…って話。
でも、現在の俺たちは、愚直に、発熱外来を続けていくしかないわけで。
もっとも、こういった情報(not good news)は、現時点では、正しく情報を咀嚼できる人にしか、流せない。
でも、人間は、情報が入らないと不満、その一方で、情報が入ると不安、なかなか、情報とそれを受け取る人間への対応は難しい。
ともすれば、インフォデミックが起きてしまう。
とにかく、体調を崩すことが悪いことではない。
コロナに感染することが悪いことではない。
ただ、それらに対して迅速な対応ができないことは、懸念されるべき、次のトラブルにつながる。
体調不良があるときは、きちんと、カミングアウトしていただき、検査とゾーニングで、クラスターになったとしても、最小限の被害で留めていくように、対応していけばいい。
もはや、災害である。
災害で、最も生存する可能性が高いのは、周囲から失笑されるくらいに、大袈裟な対応をする人、なのかもしれない。
俺は、職員たちの健康を心配する。
職員たちは、自分たちの家族を心配する。ゆえに、俺は、職員の家族のことも心配する(こういうのも三段論法というのかな)。
スタッフにかけたい言葉は、無理はしないでください、休めるときに休んでください、そして、保温と保湿と水分を、だ。
まあ、でも、ひとりでやれることなんて、たかが知れてる。
身体はひとつ、1日は24時間。
現時点における私のスタンス。
同情はしない、でも、薄情にもならない。
干渉もしない、でも、傍観もしない。
監督 池谷 龍一