すべては灰色、そこに濃淡があるだけ

2017.8/10

私は精神科医である。

世の中は精神疾患および精神科医療をどう見ているのだろうか。
医療において、こころの分野における需要は、十年前と比べて、高まってきているといえる。
実際、厚生労働省は、地域医療の基本方針となる医療計画に盛り込むべき疾病として指定してきた悪性腫瘍(癌)、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病の「4大疾病」に、新たに精神疾患を加えて、「5大疾病」とする方針を決めている。
職場でのうつ病や高齢化に伴う認知症の患者数が年々増加し、国民に広く関わる疾患として重点的な対策が必要と判断したのだ。

そんな統計的なデータから導かれた指針以外にも、精神科医療のニーズが高まってきている原因として、
・こころの医療に関する知見・周知が進んできた(この背景には、メディア、インターネットなどによる情報量の増大はあるだろう)
・一昔前より精神科受診の敷居が低くなってきた
・学校、地域、職場などのコミュニティにおける社会の包容力が狭くなってきた
等が考えられる(あくまで、私の実感であるが)。

一方で、精神科および精神疾患への偏見(精神科医療の負の歴史が産み出してきたstigma)は、依然として残っている。
そして逆に、カウンセリングや抗うつ薬などの薬物療法を、どこか“万能視”してしまうような傾向も同時に見受けられる。

しかし、魔法の薬も魔法のカウンセリングも実際には無い。
興味深い状況といえる。

「スピリチュアル」という言葉が流行ったことがあった。
ブームだったと云ってもいいだろう。
人は(生きていくことの)意味が分からないから不安になり、不安になるからこそ意味を求めてしまう。
その結果、何かにすがりつきたくなる。

たしかに、今、自分の目の前で、もしくは、自分のこころの裡(うち)で起きている出来事が、曖昧なままだったり、合理化されていなかったり、名称がついていなかったり、カテゴライズされていなかったり、総括的にまとめられなかったり、つまりは、きちんと片付いていないと不安になってしまうのは分かる(了解可能だ)。

しかし、曖昧で、多様性に富んでいて、混沌としていて、スペクトラムであって、ああでもないし、こうでもないのが、我々が対峙しないといけない現実であり、人間そのものではないか。
すべては灰色、そこに濃淡があるだけ、と云えるかもしれない。
現実は、常に動いている。
また、現実は、時に、理不尽である。
現実は、ほとんど愛想がないものと言えるかもしれない。

だから、こころの裡が乱雑なままでも、そのまま保持できる能力(もしくは、対峙しつつも、少しずつ修正や整理できる能力)、平穏に保てる強さやしなやかさ、葛藤に対する耐性が必要になってくる。

しかし、“現実”の持つ効用も、もちろんある。

“現実”という言葉は、ネガティブなイメージをもたれがちであるが、我々に素敵な時間やホッと安心できるひとときをもたらしてくれるのも、“現実”に他ならない。


監督 池谷 龍一

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