男は、タフでなければ生きていけない。優しくなれなければ生きている資格がない
先日、私の外来を訪れた患者さんは五十人でした(一日あたりの患者数です)。
その前の週の出張のあおりで外来の予約が立て込んでしまったのですが…、いやはや大変でした。
もちろん、待たされる患者さんが一番大変なわけで、こういうときは申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
しかし、精神科という科の特徴なのでしょうが、訪れる患者さんの疾患は実にバラエティに富んでいます。
てんかんの疑いがあれば乳幼児の脳波を測定して検討していかなくてはいけませんし、自閉症やADHD(注意欠陥/多動性障害)など発達の上での障害をもった子どもたちの診察、不登校やひきこもり(これらを追っていく上で統合失調症との鑑別が必要になる事もあります)の児と家族のフォローアップ、精神発達遅滞(知的障害)、リストカット、人格障害、大量服薬、アルコール依存症をはじめとする様々な薬物の依存症、不眠症、パニック障害、神経症、心気症(身体表現性障害)、うつ病、統合失調症、認知症…。
今、振り返れば大学5年生の病棟実習で精神科をまわった時に、随分と社会的な必要性が(なんとも分かりやすい形で)ある科だな、と感じ、研修医として最初に立った医療現場は救急部だったのですが、ここでの経験もその思いをさらに強くさせました。
今は精神医療の現場に立つ者の正直な実感としてその思いが身に染みる毎日です。
最近、そんな現場に立ち向かう私たちに必要なものは何なのだろうか、つまりは精神科医としての適性とは何なのか、ふと考えることがあります。
一つ目は言うまでもなく「患者さんを思いやる心」でしょう。
誰にも相談できず、誰にも分かってもらえず、独りで悩みながら外来を訪れる患者さんに共感性を示しながら話を傾聴させていただく、安心感を与えてさしあげる。
二つ目は患者さんに対して「興味」を持てるかどうかではないかと思います。
他の科と異なり、検査結果の数値や客観的事実からではなく、我われは患者さんの話す内容や話し方、身なりや服装、ちょっとした仕草から診断・治療に必要なファクターを拾い上げていかなくてはいけません。
その時に大切なのが患者さん自身と患者さんの話すストーリーに対する「興味」だと思います。
三つ目は肉体的にも精神的にもタフなこと、つまりは「体力」。
では、私が精神科医としての適性や必要な能力を主にどこで養うことができたか?(無理やりオチに持っていきますが、このへんが後藤部長の文章のように上手くいかないんだよナ…)それはいうまでもなく、私が大学時代、多感な頃を過ごすことができた…、
そして、
男はタフでなければ生きていけない、やさしくなければ生きている資格がない。
監督 池谷 龍一