管理職の悲哀

2019.2/23

しかし、今年度は書類(診断書や講演会の原稿)が溜まるなあ・・・。
ある日の午前1時、医局。そして、気がつけば、「こまくさ」の原稿締め切りがとっくに過ぎてるじゃありませんか。

「俺が〆切に合わせるのではなく、〆切が俺に合わせなさい」

なーんて、毒づいてみる。
近頃、面の皮が厚くなったというか、ふてぶてしくなったというか、図々しくなったというか。
もちろん、〆切を破ったり、人を待たせるのは好きじゃないんですが、どう足掻いても、物理的に間に合わないときは、恐縮しつつも、堂々と開き直っちゃう今日この頃。

悠々と遅刻し、堂々と恐縮してみせる、この矛盾。
確信犯で傲慢。鼻持ちならない嫌(や)な野郎です。
でも、傲慢という自己認識が充分あることを謙虚といい、謙虚な立ち振舞いを恥と思わないことを傲慢という。なーんて、屁理屈もこいてみる。

文字数を稼いで、午前2時(途中、病棟から呼ばれた)。
最近、時間の感覚も含めて、いろいろ麻痺してきた。
一言で云えば、見当識障害と離人感と人生迷子(苦笑)。
いつの間にか季節も替わってる。

週の、月の、年の、季節の節目はなく。
1日の終わりは曖昧で、黄昏と夜の間を、さ迷っているような、1日の始まりはぼやけていて、夜と朝の間を、まどろんでいるような・・・
なんだか、そんな生活が、ずっと続いてる。ここんとこ。

今月のベッド稼働率と外来総数に目を通す。やれやれと手を組んでみる。
経理や人事のこととなると、情けない話、正直、その本質まで、私の理解は届かない。

知識と常識不足。

まったく・・・、しょせん医者なんざ、“素人”なわけで。
(もちろん、経営者は別に居るのだが)
ひらたく言えば、医者は“診断”と“治療”しかできない。専門馬鹿。いろいろ考えてはいるのだが・・・。

お金の問題にしろ、私自身、経理のド素人だし、私には入ってこない情報もあるだろうし、つまりは、私の理解や知識を超えたところで、様々なことが起きているわけで・・・。
ギャンブルで云えば、ルールを熟知していない種目の席に座らされてるみたいなもん。
こういうときは、カードや牌だけではなく、相手の表情や仕草を観察(み)ていくしかない。
しかし、それも、人の心に土足で上がるようなもので、かっこいいもんじゃないねえ。

でも、結局、仕事ですからね。使命ですからね。
“仕事”とは“お仕えする事”と書く。だから、私は、この地域における精神医療および福祉にお仕えする立場。
また、“使命”とは“命を使う”と書く。
そもそも、命って何ですか?という話になりますが、医学的には、寿命に至るまでのパワーであり、自分の健康、と定義してもいいだろうな。
つまり、命を使う、とは、寿命を縮める行為であり、健康を犠牲にする行為。
だから、使命感を持って仕事をするってのは、死に急ぐ奴隷的行為なのかもしれない。
まあ、ただのマゾヒゾム、かしら・・・。さらに言えば、このような屈折した思考は、“自分を殺して、はじめて浮かび上がることができる自己愛”に過ぎないのかもしれない(苦笑)

苦笑い。微かに笑った後、残る苦さを、心の内で飼い慣らす。

午前2時半。そろそろ帰ろう。


監督 池谷 龍一

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