桜とラグビーと

2017.6/23

日本人は桜が好きである。

桜は国花であり、また我々ラガーにとって、桜のジャージーと言えば、それはラグビー日本代表を意味する。
冬期、全ての色彩を打ち消して、お世辞にも美しいとは言えない、瘡蓋(かさぶた)だらけの老樹が、信じられないくらい見事な花を咲かせるのは奇跡としか言いようがない。老いざらついた樹皮と、調和のとれた美しい花びらのアンバランスが、殊更に桜の花の美しさを演出する。

桜の開花は、春の始まりを高らかに宣言し、物事をスタートさせる。いや、物事だけではない。とりわけ東北では、長く寒い冬が終焉を告げ辺りの空気が次第に和らぎ始めると、人々は桜を意識し、そしてその開花は人々の心を一気に高揚させる。

これだけ多くの人が毎年のように待ち焦がれる出来事は、他にあるだろうか。

また桜には、人の心を衝き動かす魔力が備わっている。

在原業平は古今和歌集にて「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」と詠んだ。
梶井基次郎は、「桜の樹の下には屍体が埋まっている・・・。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている」という一節を書いた。
それは誰もが、桜花の儚く美しい一瞬の輝きに我を忘れ、感動しつつも畏れ、出会いと別れ、生と死、そして、生命の神秘を感じるからだ。そして、散り行く花はまた、人々に一年後の夢を見させてくれる。

この感覚はラグビーに似ている、と私は思う。その一瞬に全力を尽くしてボールを追う姿は美しい。
宇宙の始まりに、空間に満ちていたエネルギーが、原子という姿に形を変えたのと同様、桜の花は、地球上の生命エネルギーが、ある一時、凝集し実在化した一つの姿なのではないか。我々の一つ一つのプレーもまた、生命力の体現に他ならない。それが自らを、そして観る人を揺さぶり、感動を生むのだ。

ノーサイドの笛は、勝利の喜びや敗北の悔しさを惹起すると同時に、次のチャレンジへの号砲でもある。

やはり、ラグビーには桜の花がよく似合う。


部長 後藤 薫
(平成28年4月『こまくさ』より転載)

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