情熱が先か、タックルが先か
人間は感情の動物である。
1884年、有名な米国の心理学者であり哲学者でもあったWilliam Jamesとデンマークの心理学者Carl Langeが「感情」に関連する最初の考えを提唱した。
彼らの説はJames-Langeの説として一般に知られているが、「感情は体の生理的変化に応答して経験される」というものである。
たとえば、泣くから悲しみを感じるのであって、悲しいから泣くというわけではないという考えだ。
感覚系は周囲の現状についての情報を脳に送り、その結果として脳は筋肉の緊張度や心拍数などを変化させるシグナルを身体へ送り出す。
感覚系は脳によって引き起こされたこれらの変化に反応する。
感情を構成するのはまさにこの感覚なのである、とした。
JamesとLangeによると、生理的変化が感情そのものであり、もしこの変化が取り除かれれば感情も消失する。
この学説が提唱されるまでは、感情は状況によって引き起こされ、身体の変化は感情によるものだという考え方、つまり悲しいから泣くという考え方が一般的であった。
James-Langeの説は、これとはまったく正反対なものである。
この知識は実は、第2生理学の加藤宏司先生とのNeuroscience本の翻訳作業で仕入れたものである。
この説の真偽はともかく、商売柄、常に何かを学と、いつもその現象や知識をラグビーに当てはめて考える癖がついてしまっているので、ここでJames-Langeの説をネタに思考を巡らしてみようと思う。
つまり、我々は情熱を持っているからタックルが出来るのか、あるいは試合で見事なタックルを決めるから情熱が湧いてくるのか?
これは禅問答にも似たものである。
ラグビーの面白さを知ってしまった我々にとってその答えは、どちらもイエスである。
しかし、自分がラグビーを始めた頃を思い出してみよう。
ボールを持つ前から、タックルをする前から、そしてスクラムを組む前から、ラグビーの楽しさを感じただろうか。
答えはノーである。
ラグビーは実際に試合に出てボールを持って走ってみたり、タックルしてみないと本当の楽しさは分からない。
先輩からの酒や合コンという甘い言葉に誘われて苦しい練習を続けているうちに、ある時試合でトライを決め、あるいは見事なタックルで相手を倒し、ふと快感が沸き起こったのではなかろうか。
この偶然とも言える回路が一度でも形成されると、その後の反応はどちらが誘引でどちらが結果か分からなくなり相乗効果を示すようになる。これがいわゆる“はまってしまう”感覚だ。
しかも、自分1人ではなく、周りには似たような感情を持つ仲間がいる。
類は友を呼び、この感情は感染していき、ある特殊な集団を形成する。
この感情はプレーのみならず、マネージャーにも感染し、マネージャーはさらにそれを煽るのである。
たとえ、学生生活にピリオドを打ち、社会人になり、ラグビーとは全く縁のない生活を送っていても、ラグビーと何かしらの縁があり、そこからある種の感情をいだくようになるまでラグビーと関わり、ある特殊な集団に属したという事実が大事なのだ。
ふと、これはまさに宗教かもしれないと思うことがある。
部長 後藤 薫
(平成18年『こまくさ』より転載)